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一夜明けて、福岡は気温が上がった。薄いウールのジャケットでさえ暑く感じた。

記録制作 手仕事舎のことは、以前も何度か書いた。記録映像を撮るグループが僕らよりさらに前に村に移住し、古い中学校跡を仕事場とした。その場所では、小規模ながら刺激的ないくつものイベントが催され、それを当時の村の名から、宝珠山小劇場と名乗った。

僕と女房はなにも知らずにこの村に居を定め、引っ越し後、ほどなく知己を得た。映像監督であり、脚本家でもあった田村悟史氏。チームを率いて東京からの移住と聞いた。手仕事舎には、全国から多彩な訪問客が後を絶たなかった。僕らは、数え切れない新たな出会いをいただいたものだ。ライブ、トーク、SPレコード研究会、等々。それは情報の鉱脈。
イベントのひとつに、絵本作家原画展がある。途中から、村の教育委員会が世話役となって今日まで続いている。今夜はそのパーティ。僕にとっては久しぶりの手仕事舎。3年前の夏、田村氏が逝ってから、忙しさと相まって遠ざかった。来年春、ここ手仕事舎はその幕を閉じる。期せずして、僕らもその頃村を出る。奇妙な縁のつながりを改めて想った夜。

明日は、次男のサッカー大会を応援したり、買い物をしたり。家族の連休初日。

比類なき空間。

手仕事舎のすごさは、このセンス豊かな空間にある。廃校利用とはこうありたい。

膨大な蔵書。

手仕事舎には、夥しい新旧の蔵書が収まっている。SPレコードは6万枚の由。

今夜も大勢の人。

古い英国家具や小鹿田焼の器。オリジナルレシピ。豊かさを考えさせられる場所。

この灯りが消える。

村で生まれた2人の息子も、多大な影響を受けたと思う。手仕事舎よ永遠なれ。

by 江副 直樹 2012-11-22 22:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

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