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霧が好きだ。朝目覚めて、外が濃霧だとわかったとき、胸の奥からワクワクが湧いてくる。雪のそれとも違う、霧には霧の高鳴りがある。日田は特に霧が多く、冬から春にかけて、外気温と川の水温の差で生まれる霧を、特に底霧と言う。これが盆地全体を覆うのだ。

霧は濃ければ濃いほどいい。これまでの人生で最上の濃霧は、40年程前に味わった大分県九重、飯田高原の霧だった。ドライブ先の現地で数メートル先も見えない、文字通りの濃霧を経験した。幻想的とはまさにあのことで、いつも嘆息を漏らしていた絶景もまるで見えないし、霧の中に閉じ込められたような気分になったものだ。写真を何枚も撮ったっけ。
時が経ち、僕はその土地の比較的そばに暮らすことになった。東峰村も、時折住まいから見下ろす眼下の谷に霧が溜まったが、日田の底霧はさらに格別で、すべての存在を隠すように充ち満ちる。いまは、時間が進めばその後快晴になることも知った。だからこそ、愛おしい朝の一刻。某夜、雨も雪も降らない朝を控えて、僕の胸は小さな期待を宿すことになる。

これはかなりの濃霧。気分も一段と高揚する。出会う人はほぼいない。

晴れた日は、遠くに東峰村が見える。なのに、今朝はすべてが霧の中。

朝陽が上がるとまた風情は変わる。青いグラデーションが深みを見せる。

霧を押しのけるように、朝陽が上がってくる。底霧は、晴れの合図でもある。

by 江副 直樹 2018-1-11 22:10