ここから本文です

梅雨は年に2回あるとは知らなかった。連日の雨に鮎が遠ざかる。

釣り師の気持ちになると、川に蓋をする雨は招かれざる客のようなものだが、降りすぎない雨ならそもそも嫌いではない。周囲の音を消して、あれもこれも濡らして色を深める雨。それが楽しめる状況にさえあれば、雨は暮らしの中に、情緒を持ち込んでくれる。

雨はなぜ降るのだろうと思ったことがある。天空から、体中を濡らしてしまう水が落ちてきて、僕らは傘なんていうある意味奇っ怪なものを掲げて雨を凌ぐ。空から落とさず、地中からじわじわ湧き出せば、田畑も森も川も困らずに済むではないか。あるいは、日中は降らず、必ず夜間に降ることにしてくれれば。いや、それはあまりに身勝手と言うものか。
皆が昼だけ動いているというものでもないし。それに、地中から湧き出す雨なら、雨音なんて存在しないだろう。軒を伝う雨、そこから雫となって地表を叩く雨。山川草木を湿らせ、活き活きとさせる雨。乾き切った大地や渇水となった川を潤すのは、慈雨とありがたがられる。雨によって醸し出される叙情も少なくない。雨に打たれて、そんなことを想った。

今日はヒタモノつくりの定例の後、アヴァンティ主催のイベントでレクチャーなんぞを。

我が家の周囲は古い石垣に囲まれている。その上を歩いて撮影してみた。

雨が続き、コムラサキの可愛い実が石垣上に散乱していた。それはそれでまた。

 

 

by 江副 直樹 2015-9-10 22:10