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長雨のせいか、湿度のせいなのか。更新がすっかり滞ってしまった。反省。

タイトルは、知識と知恵にするか、少し迷った。書くことは決まっているのだが、切り口を変えて表現したいと思った。知識と知恵の違いについては、過去にも書いたことがある。知恵ではなくて、知識を過剰評価する傾向への違和感。大事なのはどっちだ?

知識と知恵。この対比には、類似のパターンがいくつかある。具象と抽象、アプリとOS、定量と定性、専門と教養、などなど。僕は、すべて後者により多くの価値を見出しているが、一般には必ずしもそうではない。前者は目に見えやすいが、後者は見えないことが多い。前者は誰にでもわかりやすいが、後者はわかろうとする者にしかわからなかったりする。
知識はあって邪魔にはならない。重宝することもある。しかし、知識は事実の静かな羅列でしかない。単一の知識が増殖をしたり、知識同士が化学変化を起こしたりすることはない。それを成し得るのは知恵である。知識を道具とするならば、知恵はそれを使いこなすソフトウェアなのだ。知恵が伴わない知識は、魂が抜けた亡骸に等しい。磨くべきは知恵。

明日は関西からお客様。日田に来てから、これまで以上に来訪者が多くなっている。

ペンが作文をしてくれるわけではない。僕らの脳内イメージが意志により文字になる。

名産地の梅が、適切な道具に出会ってシロップになる。今夏、ビタミンCはこれで。

道具はまったく使い方次第。しかし、しょぼい道具よりいい道具が断然使いやすい。

科学の知識がなにになる?それは思わぬところで閉塞を開く道具になったり。

 

 

 

 

by 江副 直樹 2015-7-4 22:10