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ようやく敷地の根雪も溶け始めた。裏山の枝打ちと雨樋修理の日曜日。

いつも、「全体」が気になる。人は皆、毎日を「部分」に接して生きているのだが、眼前のそれではなくて、想像しなければ感じない「全体」を意識することが僕の習い性になっている。全体観を持って始めて、「部分」は本来の意義を見出すのだ。

「全体」は必ず「部分」に分解できるが、「部分」をいくら集めても決して「全体」にはならないと思っている。この両者と類似の関係はここそこに見ることができる。戦略と戦術もそうだし、目的と手段もそれに近い。戦術を揃えたら、自動的に戦略となるわけではなく、手段を束ねたら、いつの間にか目的に到達できるわけではない。
近視眼的とも言うが、元来人は目線を上げたり下げたりがしんどい動物なのだろう。しかし、足下だけ、目先だけを見ているうちに、気づけば迷子になっていることのなんと多いことか。木を見て森を見ず。爪で拾って箕(み)でこぼす。細部に関心を奪われるがあまり、肝心の全体にほころびが生まれる様。古人は鋭くも粋なことを言った。

今週は東京で重要な会議があったり、東京から人を招いたり、東京と縁の深い一週間。

山は山だが。

木は森となり、森は巨大な山肌を形成する。埋没せぬよう。

人の暮らしが。

日常的に落ち着く距離感というものはあるかも知れない。

木があり草がある。

森に入ると視界はがらりと変わる。それにしても美しくない人工林。

ようやく見える。

ここを見ながら、この山塊を想い描けることが大切。

by 江副 直樹 2011-2-6 22:10