ここから本文です

またまた豪雨。空の貯水池は、もうすっかり底が見えているに違いない。今日は七夕。

古い家に住んでいるからか、柱や梁に釘やネジを打ったり抜いたりが気にならない。色調が黒っぽく、照明も落ち着いているので、多少の傷はまったく目立たないのである。ふと、木造の家を筆頭に、ここかしこで木に頼っているわが日常に思い至った。

小さな種から、年を経て大木に育つまで、僕らの暮らしは木とさまざまな付き合い方をしている。木が若いときは、葉や枝で暖をとり、加熱に使い、生り物は食用になり、大きくなれば、食器や雑貨に加工し、果ては建材として永きに亘って添い遂げる。山では水を蓄え、気温を下げ、風を起こし、雲をつくる。僕らは木に、森に護られていると思う。
こうした感覚は、自然すべてに言えることなのだけれど、環境保護などという硬直した言葉では、この壮大で複雑な因果関係はとても表現できていない。Giving Tree(邦題:大きな木)なる絵本をご存知だろうか。S.シルヴァスタイン作。 僕の知る中では最高の絵本。最後のシーンは、落涙なしでは読むことができない。改めて、木は誠に寛容である。

昨年からの何度かの足痛。あろうことか、痛風の疑い濃厚となった。嗚呼、オッサン。

切り刻む。

加工の容易さは木の大きな特長だろう。素人でもなんとかなる。

埋められる。

重たい機関車をレールとともに支えた枕木。いまは庭に埋められて。

ブランコ。

張り出した枝はブランコにちょうどいい。もちろん、木登りも楽しめる。

木陰。

木陰の心地よさは格別。紫外線を遮り、光を散らし、そよ風を送る。

 

by 江副 直樹 2011-7-7 22:10 
EZOE naoki

田舎を拠点のプロデュース稼業。その日々仕事雑感、問わず語り。

by EZOE naoki