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僕らは、何をエネルギーに生きているんだろうと考えることがある。肉体を維持する食べ物や飲み物は当然だが、足を前に踏み出すその意志はどこから来るのか。生理的欲望が後押しをし、それが充足されることを繰り返す。それを営みと呼び、日々と形容するのだろうか。

いつだったか。今は亡きわが父が死ぬ少し前に、言葉を交わしたとき、数年先のなにかが話題になったことがあって、しかもそれがうまくいくことを願うような発言をしたことがあった。僕はとても意外に思った。すでに死期を薄々自覚していたはずだったが、父の目はずっと先の希望を追っていたのだ。生きているとはそういうことなのか。強烈な想い出。
釣り師を、悲観的楽観主義者と喝破したのは、自ら釣り師であり大作家だった開高健だが、まさに言い得て妙。釣りに出かける際、良い予想と悪い予想が組んずほぐれつ、あざなえる縄のようにせめぎ合う。そして、いつも大漁の予感、希望が上回って、僕はいそいそと家を後にするのだ。月が明けたら、早くもヤマメが解禁になる。今年もきっとうまく行く。

体高のある本流筋のヤマメ。流下する羽虫を狙って波紋を作る。

by 江副 直樹 2017-2-11 20:08