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因果の距離。

2016.5.20

日に日に夏の陽射しが勢力を増していく。木陰はあくまでくっきりとして。

ずっと心の奥底に引っかかって、時折浮かび上がって来るテーマがいくつかある。それは、特に仕事で課題解決を図るときに関わっていて、原因を検索していく先々に必ずと言っていいほど横たわっている。目には見えないが、すべての根っこに通ずるもの。

それは日常から離れた抽象だったり、輪郭の不鮮明な曖昧だったり。感覚でのみ掴むことができて、なにより伝えづらい。デザインにしても自然環境にしても、無関係に生きている人はいないのに、自分は当事者ではないようなボンヤリ感。基礎研究、一般教養、基礎体力、基幹技術。すぐに役立たない知恵やプロセスがないがしろにされる傾向とも相似形。
重要性を伝え、可能な限り言葉化し、例え話を見つけ、訴え続けるが、定着は至難の業。これほど本質的な事柄にもかかわらず。きっと因果関係が遠すぎるのだろう。直接や具象のわかりやすさに絡め取られて、めったに使わない道具袋は肩から下ろしたいのは、人情。しかし、学問もスポーツもテクノロジーも、基礎が脆弱になって発展したためしはいまだない。

なんと今日は、筑後川流域は鮎釣りの解禁日。まずは、花火でも見に行くとするか。

このわずか数ミリの、名を知らぬ花にも、立派な存在意義があるはずだ。

世にも不思議なホタルの光。いなくても困らないならいなくてもいいのか?

遊びなんてなぜやるのか?しかし、もし釣りが禁止されたら死んでしまう。

毎朝の散歩の効能はなんだろう。説明できないものの中に鍵があるかも。

 

by 江副 直樹 2016-5-20 22:10