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大分湯布院では氷点下の朝。分母庵も寒い。風邪気味だし、祭日だし、ゆっくりと過ごす。

20歳頃だったと思う。それまで、やたらと理屈っぽく、なんでも論理的に考えることが当たり前と信じていた。それがなにかをきっかけに、徐々に息苦しくなり始め、ある日突然こう悟った。これからは、論理より感覚を大事にしていこう。

かといって、論理を捨てて、すべてを感覚に終始しようとしたわけではない。ただ、生きている限り、最初に反応が起こるのは感覚領域に決まっている。それが脳や胸に刻まれ、腹に落ちていき、言葉となり、さらに文章となる。僕らが、何かを言葉や文字で表し、論理が支配できるのは、コトが起こってしばらく後の話。論理は生の最前線では使えない。
感覚には、触感や味覚のような微細な情報もあれば、気配や雰囲気といった茫洋とした情報もある。そんな素性の知れない大小の情報群に、大きな網をかけてひとまとまりにしてしまう能力。つまり直観。人は毎日を感覚によって生きている。数値化ができないからって、軽視するなんて知性ではない。堂々と、「そんな気がする」から始めようではないか。

今日から八女土橋市場で「昔のお嬢様展」。明日は、午前中会議が1本と、午後学校

啓発は自然からが多い。

言葉や文字になるずっと前。すでに心身は動いている。

なんとなく、なんとなく。

感覚をどこまで論理的に説明できるか、それが僕の仕事。

by 江副 直樹 2010-11-3 21:09